他人の多様性を認められるようになるって、実は自分自身がラクになることじゃないかな。今、さまざまなシーンで耳にする「多様性」という言葉。バーのオーナーで自身がゲイであることをカミングアウトしているTakaco(タカコ)さんに、自分らしく生きることや違いを認めあえることの意味を聞きました。

 

新橋で「No Border」「OCOGE」「moonbow」の3店舗を経営するTakacoママ。「自治体にパートナーシップ制度を求める会」の活動はNHKなど多数のメディアでも取り上げられ、2021年3月時点で導入自治体は79に拡大。YouTubeチャンネル「ゲイママTakacoと新橋はしご酒~ぶらりチン道中~」でも個性を発揮しています。

LGBTQ+とは?

L=レズビアン(性自認・性的指向が女性)、G=ゲイ(性自認・性的指向が男性)、B=バイセクシャル(性
的指向が両性)、T=トランスジェンダー(身体的性と性自認の不一致)、Q=クエスチョニング&クィアー(性自認・指向を決められない)、+は「ほかにもいろいろある」の意味を表す。

ゲイを自覚したのは、性に目覚める年齢を迎えた時

 

ゲイバー発祥の地という顔をもつ東京都・新橋の一角で、「境界を設けない」をモットーに『No Border』を含む3店舗のバーを経営するTakacoさん。性自認(ジェンダー アイデンティティ)・性的指向(セクシャル オリエンテーション)が男性であるゲイを公言し、「自治体にパートナーシップ制度を求める会」の発起人としても精力的に活動しています。

Takacoさんが自身のセクシャリティを自覚したのは小学校高学年の頃。性に目覚める年齢を迎え、周りの男子が女子に興味をもったり女性の裸の写真を見るだけで興奮したりする姿を不思議に思ったことから「同性が好きだということに気がついた」と語ります。

同僚が受け入れてくれた26年分の思い

気づいたものの、いじめや差別を受けるかも…という気持ちから、誰にも打ち明けずにいたTakacoさん。初めて他人にカミングアウトしたのは26歳の時、相手は会社の同僚でした。当時、Takacoさんはシステムエンジニアとして働いていましたが、「イエス」「ノー」だけでない忖度がある日本社会の理不尽さや、仕事だけに追われる環境から「とにかく逃げ出したい」と、会社を辞めてニュージーランドへのワーキングホリデーを決めたことがきっかけでした。

「最後だし、同僚に言ってしまえと(笑)。この人になら自分のことを話してもいいかなって思えたんです。その時に、彼も自分のコンプレックスを話してくれて。自分にとってゲイであることはとても重要だけど、人それぞれに悩みがあることを知り、自分の悩みは人にとっては何でもないんだなって思えたことが一番嬉しかったですね」 26年間ずっと、ゲイであることを誰にも言わずに過ごしてきたTakacoさんにとって、今は心理カウンセラーになっているという元同僚の“人を受け入れる能力”が、その後の大きな支えになったそうです。

なぜ息苦しいのか曖昧なまま日本を飛び出して最初に向かったニュージーランド。そして、息苦しさが明確になったからこそ自らの意思で向かったカナダ。街なかでは同性パートナーがキスをしたり手をつないだり、一緒に暮らしているのも自然な光景で、差別がなく、“普通に”受け入れ、受け入れられている人たちと出会った経験が糧になり、「自分らしく、という当たり前だけど難しかった生き方を見つけることができました」

多様性があって当然の社会は「人間力」が一番の強みに

自身のセクシャリティを打ち明けられずに生きづらい日々を送っている人や、自分は差別されたくないのに他人を差別してしまっていることに気づいていない人が日本にはまだまだ多いという現実。境界線のない、誰でも集まれるバーを経営する傍ら、同性カップルのパートナーシップ制度を自治体に求める活動を続けてきた今、日本各地で同性婚を認めることが当たり前だという流れも生まれています。

「多様性」を流行語にせず、次世代の若者たちが「その人らしく」生きていくために、「大人がLGBTQ+というわかりやすい題材に対して、真剣に向き合ってほしい」と語るTakacoさん。「両親にカミングアウトした時は涙が止まらなかったけど、私にとってゲイは特徴のひとつ。セクシャリティは結局のところセックスする時以外は大した問題ではないんです。それよりも、一緒にいて楽しいとか面白いとか、いろんな経験を積んで、他人を認めることができる器をもった人間力で勝負してやろうと思いたいですよね」

同性婚の合法化を求める署名など、誰もが自分らしくいられる社会を目指してさまざまな活動を展開中。

YouTubeで発信中! 「ゲイママTakacoと新橋はしご酒~ぶらりチン道中~」

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